こっちに転居しました。
2016-03-12
5年目の3月11日
5年前の3月11日はミーティングで事務所にいた。
テレビに映る現実のものと思えない光景と目の前のギッシリと人で埋まった道路にザラザラしたものが心に広がっていた。
何かしなければという思いで仲間を募って新宿駅で募金活動をし、また現地で何かできないかと思っていたが思うより行ってしまおうと、バレーボール関係のネットワークをたどって避難所になっている高校の体育館の訪問をしたのが4月だった。
初めて行った時の気仙沼はうずたかく積まれたガレキの山とテレビでは分からなかった激しい悪臭にアゼンとし、陸前高田の何もかもが流された光景に言葉を失い、車のナビ通りに行ったら峠越えになりあやうく遭難しかけた雪の大槌など、いろんな思いが頭をよぎる。
それでも避難所や仮設住宅で非難されている方々の明るい笑顔に触れ、また帰る家があることに罪悪感を感じ泣きながら帰路についたこともある。
この活動は今も形を変えながら現地の方々との交流は続いているが、避難されている方々の健康状態が本当に心配だ。
かつて漁業や農業をしていた人たちが動かなくなって生活習慣病が確実に増えているし、高齢者の方々の認知症も増えている。
だから今年も頑張って時間を作って行くことにしようと思っている。
今年は現地に行くことができなかったので、いつも一緒に行ってくれているマリさん、シゲちゃん、N中、そしてK子とH子も一緒に隣の笹寺で本尊様に手を合わせてきた。
亡くなった方々のご冥福と一日も早い復興を心から祈って・・・